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目黒区案内

目黒区公式ホームページ

http://www.city.meguro.tokyo.jp/

地理

区域は南北方向に縦長である。面積は東京23区の中では比較的小さい
河川・水路・池

目黒川

目黒区内には、以下の5つの二級河川がある。

目黒川

蛇崩川

立会川

呑川

柿の木坂支流

駒沢支流

九品仏川

池は以下の通りである。

碑文谷池 – 碑文谷公園内

清水池 – 清水池公園内

歴史

目黒の地名の由来には諸説あり、はっきりしていない。
原始、古墳時代
東山貝塚遺跡:23区内の3大貝塚の一つ。旧石器時代から古墳時代の遺跡が重層的に発見されており、
氷河期、縄文海進期、古代海退期と超長期的に利用された場所である。縄文時代の遺跡は区内に数多い。

古代

武蔵国荏原郡に属す。
9世紀頃大鳥神社、目黒不動、法眼寺が建てられる。
横山党目黒氏の荘園「菅刈荘」であったと伝えられる。
(目黒高校近辺が居館であったという伝承がある)

中世

区内に鎌倉道幹線が整備された。
後北条氏勢力下となってからは、吉良氏の所領となった。

近世

江戸時代には孟宗竹の産地であり、現在の目黒区南部、品川区境で採れる筍は名産品であった。

近・現代

1874年 八雲小学校設置

1896年 ビール工場開場

1907年 目黒競馬場開設

1927年 東急東横線開通

1933年 目黒競馬場廃止

1994年 防衛庁移転計画に基づき統合幕僚学校・三自衛隊の幹部学校が移駐、目黒駐屯地として開設

2003年 – 目黒区ポイ捨てなどのないまちをみんなでつくる条例制定。

区の沿革

1867年 武蔵知県事管轄地となる。

1869年 品川県の一部となる

1871年 東京府の一部となる

1889年5月1日 荏原郡三田村、上目黒村、中目黒村、下目黒村が目黒村に、碑文谷村、衾村が碑衾村になる

1922年12月1日 荏原郡目黒村が荏原郡目黒町になる

1927年4月1日 荏原郡碑衾村が荏原郡碑衾町になる

1932年10月1日 目黒町と碑衾町が合併して東京市に編入、東京市目黒区となる

1936年 区役所を中央町二丁目に移転

2003年1月6日 区役所を上目黒二丁目に移転

地域

祭事、イベント

目黒区さんままつり:落語「目黒のさんま」にちなんだ行事である。
なお、この祭りについては類似の祭りが品川区の目黒駅付近などでも行われる。

落語の詳細は目黒のさんま#2つの目黒のさんままつり参照。

自由が丘女神まつり

中目黒夏祭り

大鳥神社、氷川神社の剣の舞

目黒ばやし

日蓮宗寺院御会式

目黒リバーサイドフェスティバル

国際交流フェスティバル

目黒川さくらフェスタ

町丁
下目黒(葛飾北斎『富嶽三十六景』)

「目黒区の町名」も参照

区内の町丁数は88で、これは東京23区の中で6番目に少ない-典拠、
東京都総務局統計部人口統計課 編集・発行「住民基本台帳による東京都の世帯と人口」

平成22年1月分、平成22年3月発行、P.22より

北部

駒場、大橋、青葉台、東山

東部

上目黒、中目黒、目黒、下目黒、三田、祐天寺

中央部

五本木、中央町、鷹番、中町、碑文谷、目黒本町、原町、洗足、南

西部

東が丘、八雲、柿の木坂

南部

平町、中根、自由が丘、緑が丘、大岡山

在外公館

区内にはアフリカの大使館が多く所在する。

(参照:Wikipedia)

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