前回から数々の偉人を教育した緒方洪庵(おがたこうあん)について
お話ししています。教えを受けた偉人として代表的な人物が、港区三田にある慶應義塾大学の創始者、福沢諭吉が有名です。
今回は緒方洪庵の医術に対しての志で、本人が翻訳した『扶氏医戒之略』について詳しくお話ししたいと思います。
医術は仁術である
どんな時代も「子は親の鏡」といわれ、
「生徒は教師をみて育つ」と言われます。
昨今、学校という教育現場で教師の不祥事やモンスターペアレント、
子どもたちの貧困さらには奨学金問題といったさまざまな問題が取りざたされています。
また、受験でより上位の学校に入学するために学校の授業よりも
塾の授業が優先されると、
学校の教師の立場は塾の講師よりも劣るなどといわれたり……。
学校という教育の場の崩壊が嘆かれていますが、
そうしたなかで緒方洪庵と吉田松陰という教育者を考えることは、
こうした問題の解決に何かしらの光明となるのではないかと思ったりもします。
とくに医者である緒方洪庵は、本人の望むと望まざるに関係なく、
最終的には幕府の奥医師(将軍の主治医)兼西洋医学所頭取となり、
当時の日本の医学界の最高の権威者となります。
(緒方洪庵自身は、そんな権威など欲しくなかったのですが)
ですが、緒方洪庵は生涯自分を一介の医者であるとして、
人の富貴にかかわらず多くの患者を診た素晴らしい人間でした。
極論すれば、緒方洪庵という人間は、ありあまる才能や明晰な頭脳を持ちながら、
一生涯、名声や富を求めず、ただただひたすらに医学をもって患者を救うという
「医者としての本分」を全うした純粋な医者だったのです。
ですので、緒方洪庵は病気の人を見ると可哀想になって放っておけず、
病人が裕福であろうが貧乏であろうが、地位や名声をもった人だろうが、
市井の民草であろうが、無宿人であろうが、分け隔てなく治療をしたのでした。
それをもっとも言い表しているのが、緒方洪庵が自分と弟子たちへの戒めとして
ドイツのフーフェランドの『扶氏医戒之略』には、次のようにあります。
少し長いですが数冊の書籍を参考にしながら、私なりに現代語訳してみました。
緒方洪庵の『扶氏医戒之略』(ふしいかいのりゃく)
一、医者がこの世で生活しているのは、人のためであり、自分のためではない。
けっして有名になろうと名声をおいかけ、金持ちになろうと利益を追うな。
ただただ自分を捨てて、人を救うことだけに生きろ。
一、患者を診るときはただ患者(病気)を診ろ。
患者の貴賤富貴を問うてはならない。
貧しい患者の感涙と高価な金品とは比較できないのだから。
一、治療を行う対象は患者である。
決して道具に頼ってはいけないし、自己の流儀(技術)に
こだわってもいけない。患者を実験台にすることなどしてはならない。
常に謙虚に客観的に観察し、細心の注意をもって治療をおこなわねばならない。
一、医者なら医学を勉強することは当たり前だが、自分の言行にも注意して、世間の人々に信頼される人になれ。
流行におもねり、詭弁や珍奇な説を唱えて世間に名を売るような
売名行為は医者として最も恥ずべきことである。
一、医者は毎日、夜になったら昼間に診た患者について考察し、詳細に記録することを日課としろ。
これらをまとめて一つの本を作れば、
自分のみならず、病人にとっても大きな利益となる。
一、雑な診察で患者を数多く診るよりも、心をこめて細密に診ることが大事だ。
逆に、プライドが高く、自分の都合で診察することを拒むようなことをする医者は、
最低最悪な医者と言わざるをえない。
一、不治の病であっても、病気の苦痛を和らげ、命をすこしでも保つようにすることは医者の責務だ。
これを放置し、顧みないことは人道に反する。
たとえ救うことができなくても、患者を慰めることを仁術というのだ。
すこしでも希望を与え、決して死を語ってはならないし、言葉遣い、
行動によって悟らせないように気をつかうべきである。
一、医療費はできるだけ少なくすることに注意しろ。
たとえ命を救っても生活に支障がでるような医療費をとっては、
患者のためにならない。特に貧しい人のためには、このことを熟慮しなければならない。
一、医者は世間のすべての人から信頼される人間になれ。
いかに学術が優れていようとも、言行が厳格であっても、
世間の人に信用されなければ、いかに腕がよくても治療はできない。
医者は病人の秘密を知りうる職業なので、その言動は温厚篤実を旨とし、
けっして多言してはならない。賭けごと、大酒飲み、好色、
利に欲深いというような医者は言語道断である。
一、同業のものに対しては常に誉めるべきだ。
たとえ、それができないようなときでも、外交辞令に努めるべきである。
決して他の医師を批判してはならない。人の短所や過ちをあげつらうことを
聖人君子はしないし、それは小人のすることである。
他人の過ちをあげて批判することは自分自身の人格を損なうことになる。
医者にはそれぞれの体験や学んだことがあり、とくに経験の多い医者からは
教えを請うべきである。以前にかかった医者の治療に尋ねられたときは、
努めてその治療の良かったところを取り上げるべきである。
ただし、その治療法を続けるかどうかについては、現在症状がないのであれば辞退した方がよい。
一、治療について相談するときは、多くの人と相談してはいけない。
多くても三人以内が良く、その人選も重要だ。
ひたすら患者の治癒と安全を考え、患者を無視して医者同士で言い争うことはよくない。
一、患者が前の主治医をやめて受診を求めてきたときは、前の主治医と話し、
了解を受けなければ診察してはいけない。
だが、その医者の治療が誤っていることがわかれば、それを放置することも、
また医道に反することである。とくに、危険な病状であれば迷ってはいけない。
(『教師の哲学』岬龍一郎・著 『聴診器―私のようこそ、ようこそ』馬場茂明・著を参考に現代語訳)
人生は短く、術のみちは長い
フーフェランドの著書は、「人生は短く、術のみちは長い」といった
古代ギリシアのヒポクラテスから流れる医術論理に、
キリスト教的な人道主義を加えたといわれていますが、緒方洪庵は
これをさらに日本的な儒教観でとらえなおしました。
最先端の技術や器具ばかりが注目されがちな現代の医学関係者が聞いても、
ハッとさせられる言葉がならんでいます。
緒方洪庵のこの信念が福沢諭吉ら門弟に受け継がれていったのでした。
※この記事の参考書籍
『教師の哲学』著・岬龍一郎
『聴診器―私のようこそ、ようこそ』著・馬場茂明
『新訂 福翁自伝』岩波文庫
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