天風は心を鍛えて(修養して)「人間を創れ」といい、そのためにはいつも「積極的な精神」でいることを心掛け、逆にストレスを生み出してしまうような原因を「消極的な言葉は悪魔の言葉」だといって、ことさら積極的に自分自身を戒めながら排除しろといいます。
そして幸福も不幸も最後は、「人生は心ひとつの置きどころ」であると喝破するのです。
中村天風という人物
「人間を創れ」とか「積極的な精神」や「人生は心ひとつの置きどころ」とは、まるで凡人の悩みを嘲笑うかのような中村天風。「そんなことできたら苦労しないよ」そう言いたくなる方もいるかもしれません。
ですが、それこそが「消極的な言葉は悪魔の言葉」であり、不幸を呼び込む大元凶だと天風はいいます。
そしてこういうのです。
「幸福に生きる人と不幸に生きる人の差とは何か」「その差はあなたの心が決めている。人間は何事も自分の考えた通りになる。本来の心はそういう力を持っているのだが、あなた方はその心の正しい使い方を知らないために、みずから墓穴を掘って、その中に落ちているのだ」
まだ、にわかには信じられない……。
そんなお気持ちもあるでしょう。では、天風に救われた著名人のお話しをしましょう。まず天風に救われた人に、昭和32年(1957年)に名作『おはん』を執筆し、野間文芸賞、女流文学賞、芸術院賞といった数々の賞を総なめにして日本を代表する作家であった宇野千代がいます。ところが名作を書いてしまったことの弊害か、宇野千代は『おはん』の後、まったく筆がすすまなくなり、一行も書けないという作家生命を左右するような大スランプに陥ると、その状態が17、8年間も続きました。
天風に救われた著名人
このころの宇野千代は、「私はもう書けない。私にはもう書くものがない」「詩想が枯渇してしまったのだ」と思い悩んでいました。そんな大スランプで自暴自棄になっていたとき、恐らく藁にでもすがる思いだったのでしょう。知人の紹介で天風の話しを聞くという巡り合わせが。宇野千代はそのときの天風とのやり取りを『天風先生座談』という著書の中で次のように書き残しています。
「ある夜、天風先生がいわれた。『出来ないと思うものは出来ない。出来ると信念することは、どんなことでも出来る』と。
本当か。
では、私は書けないと思ったから書けないのか。書けると信念すれば書けるようになるのか。17、8年間、ぴたりと一行も書けなかった私が、ある日、ほんの2、3行書いた。書ける。ひょっとしたら私は書けるのではあるまいか。そう思った途端に書けるようになった。書けないのは、書けないと思ったから書けないのだ。この、思いがけない、天にも上る啓示はなんだろう。そうだ、失恋すると思うから失恋するのだ。世の中のすべてが、この方程式の通りになると、ある日、私は確信した。そのときから私は蘇生したように書きはじめた」
こうして執筆を再開した宇野千代の創作活動は、以前よりも活発となると、文化功労賞を受賞して98歳の生涯を閉じるまでつづきました。まさに天風哲学の真骨頂であり、幸不幸は本人の心が決めていることであり、「人生は心ひとつの置きどころ」なのです。
中村天風ー(4)へ続く
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過去の記事
- 2017年11月23日ブログ中村天風-我を救うもの我なり(4)
- 2017年11月22日ブログ中村天風-消極的な言葉は悪魔の言葉(3)
- 2017年11月20日ブログ中村天風-生活より生存を大事に考える(2)
- 2017年11月13日ブログ中村天風-幸福になる条件とは?(1)